マテリアル

私と本とその他色々

構成する素材

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マテリアル、と名前を付けたのは前のブログだった。

 

私は小学校の6年生の終わりの頃から何らかの形で文字を書き続けている。

最初に始めたのは絵日記だった。その絵日記は、〇〇ちゃんと話しただの、〇〇ちゃんとカラオケに行っただの、本当にその日あったことをそのまま書くだけの日記に過ぎなかった。

そんなくだらない内容は1年と少しの間毎日ただひたすらにA4のルーズリーフに書き留め続けられた。実家に残っているので、たまに読み返すと可愛いなと思ったりもするので、下らないながらに残していてよかったと思う。

時代は変わって、それはweb上に残すものになっていった。

好奇心旺盛な私は飛びつき、中学3年生の頃からブログを書き始めた。流石に小学生の時ほど勤勉ではなかったので、それらは気まぐれに思いついたときにつけることになった。

当時好きだったアイドルのことについて一生懸命に書き綴っていた。日記と言うよりほとんどの内容がアイドルの実況となる。

中学3年間が楽しいとは言い難かったというのも一因だったのかもしれない。この頃までは、そこまで文章に感情を綴るタイプでもなかったのになぁと遡りながら感じる。

 

高校生になると、アイドルの実況も落ち着いて今日あった出来事に戻っていくのだが、思春期特有の自己承認欲求との闘いが垣間見れて面白くてこの時期の記事を読むのが意外と好きだったりする。

とにかく、高校に入るまでの私は得意分野の美術に対する自信が人よりも高いところにあったのだろう。

それが、美術を得意とする人の集まりの中で「大したことがない」と言う現実を突きつけられ、それを悔しいながらも認めていくまでの過程がとても愛おしいなと思う。この時期の挫折が無ければ、恐らく私は天狗のまま、もっと後に酷い挫折をするか、一生認めなかったかもしれない。

思春期特有の屈折の仕方と良心の呵責がせめぎあう文章はとっても青臭くて面白い。

高校3年の頃、私の文体が変わる。大体今の形に近づいてくる。

目に見えるものや思ったこと、考えたことを文章に残すようになっていった。何があったのかは覚えていないが、一度この頃心療内科を受診したことがあった。

恐らく、自分の中の感受性のコップが限界を迎えて溢れかえった結果なんじゃないだろうか。

感受性の豊かな子供ですね、と通知簿に書かれることの多い子供時代だった。その感性は弱まるどころか病気のように日々強まり続けている。

 

子供の頃、30歳はもっと大人だと思っていた。

下らないことで悩んだりもせず、かっこよく働いて、配偶者もいて、なんの努力をしなくても『それら』は私の手元に舞い降りてくるものだと信じていた。

実際のところ、その当たり前は努力を要するものであった。人の本質は変わらない、私は子供の頃からずっとくだらないことで悩み、くだらないことで笑い、自分なりの幸せのかたちを探し続けている。

30歳を目前に、突然彼氏を作ろうと思った。
多分30歳を目前に気が狂ったのだ、とりあえず、自分のことを好きになってくれた人を愛せたら、私は人間として欠落している何かを埋めることが出来るのではないかと考えたのだ。

ありきたりな幸せに憧れていた。手っ取り早くアプリで手に入れてしまおうと考えたものの、当たり前だが相手は人間だった。
恋愛は、友情よりも密な人間関係であった。当然私くらいの年齢になれば将来の話が出るのだ。
日本橋の映画館でぼんやりと映画を観ながら思う。「私はこの人との未来を想像できるだろうか」。
何かを決意する勇気も気力もない、責任も未来も何も考えたくなかった。

「結婚を恐らく全く考えていないであろう趣味とノリの合う人間」次はそこに焦点を当てた。とにかく私は未来のことを考えたくなかったのだ。
その結果「友達の延長みたいな関係が良いです」とプロフィールに書いてある人間と付き合うこととなった。
決め手はなんだったんだろう、好きな俳優に似ていたとかそんなんだっけ。あとは私の恋愛観には妥当だと考えたのだ。神楽坂のイタリアンで突然の雨の中「傘持ってないでしょ、買ってくるね」と言った時に恐らくこの人は一つだけ買ってくるだろうと確信していた。
優しいとかじゃなくて手慣れてるだけだから、責任も何も負わなくて済むだろう。私にはこのくらいの人間が妥当じゃないかな。
予想通り一本の傘を見てごめんね、遠いところまで歩かせちゃってごめんねと笑った。そして、帰り際その傘を私に手渡すような優しい男ならば付き合わないでおこうと思っていた。
改札の前で別れた後、彼はその傘を持って帰った。要は自分が雨に濡れたくなくて傘が欲しいけど、それを口実に目の前の女の好感度が上げられれば最高。そのくらいの感覚だったのだろう。
最寄りから家までの帰り道、雨に濡れながら「私には妥当だな」と考えて、後日私からも付き合ってほしいとお願いをした。

彼氏が出来たからと言って、私の生活が豊かになるものではなかった。
むしろ一日10時間以上働いて、週末にライターとして文章を書き限界生活を送っていた私の時間のキャパは限界を超えていた。
それでも仮にも彼氏だから会う時間を作らねばと必死でタスクをこなすうちに疑問が生まれる。どうして彼氏に会うために私は苦しんでいるのだろう。

彼もまた所謂社畜であった。
なので恐らく女性に求めるのは癒しや家庭的なものであったらしい。散らかった部屋を見てぼんやりと思う。そんなもの私が欲しい。
挙句の果てには「手料理が食べたい」と来た。どうして、なぜ、私が。彼女と言う理由だけで?材料費は誰が持つ?

最後に会った日は、原稿が二つと動画の案件が被っており、私は疲れていた。
彼も、本当かどうかはよく知らないし、最早どうでもいいんだけど家庭の事情でバタバタしていて疲れていたのだとは思う。そんな中で会ってくれる時間を作ってくれたんだから原稿を終わらせようと頑張っていた。
おそらく疲れが顔に出やすいのでその日は放ってほしいって顔をしていたのだと思う。
そこから間もなく毎日あった連絡が途絶えた。

「お姉さん、それさぁキープ枠にされてるよ。別れたほうがいいんじゃない」
そういってくれたのはTinderで会ったナンパ師だった。意見を求めると全くの別の人生を歩んできた人は全く違う見解を出してくれる。
これを大変ありがたいと思っていた。

LINEを全消去した直後に度々くる連絡は体調が悪いというものだった。心配する返信を返しつつ、その度にもう一度全消去した。ブロックをしなかったのは、情が湧いて少し期待している自分が居たのかもしれない。自分から別れを切り出しにくかったのも信じようという自分もいたが、その傍らでそんな自分を「万が一本当に体調が悪かったとして私のせいで死なれたら嫌だな」と見ている自分が居た。

最終的に仕事の忙しさが上回り、下らないことに脳のキャパを取られていることにモヤモヤをして「別れてほしい、友達くらいの距離で良かった」と通勤中にLINEで送った。
情も希望も全て捨てて状況だけで判断した際に、まぁ普通に考えて他に女がいるんだろうなと考えて終わった。
ブロックしたら負けだと思ったので現在でもブロックをしていないが、彼からのLINEが帰ってくることがなかった。ボロクソに書いてるけど普通に人としての屈折のしかたは好きだから元気で強かに生きてくれていたら嬉しい。