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私と本とその他色々

目から浴びるもの

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平日夕方、私は千葉駅を走っていた。

何と言ったってバスの乗り換えまであと4分なのにバスが見つからない。こういう時、私は人に道を聞くことが難しい。性格なのだろう。

半分涙目になりながら土地勘のない千葉駅東口を全力で走る。ここまで順調だったのに。ヨドバシカメラってどこだろう。

やっとこのことでGooglemapで見つけたバス停に停まっているバスに駆け込んだ時には、全身から変な汗が止まらなかった。

間に合った、良かった。縺れそうな足で大好きな窓際の席に迷わず座る。

なんとなく選んだ席の窓からはかに道楽のカニの足が見えている。バスが発進し、その足が窓の枠組みからフェードアウトしていく様子をのんびりと眺めていた。

 

私は美しいものがとても好きである。だから、こういったことが稀にある。

人生に行き詰ったり、辛いことがあったとき、圧倒的に美しく大きなものを見て「ああ、自分の悩みごとなんてこの美しいものに比べたら大したことがないな」と思うことで精神の均衡を量ろうとしていた。

そう、最近の私は何か美しいものを見ようとしていた。そして行き着いたのが蛍を見ることだった。生まれも育ちも中途半端な田舎だったので蛍を目にしたことなどなかった。非日常を目に一杯に浴びれば変わるだろうか。

風もない、気温も暖かい、雨も降らないのが今週は今日だけであることだけに気が付いて一眼を抱えて飛びだしたのだった。

 

バスでの道中は千葉の新都心が信じられないような田舎町に変わっていく様子が楽しかった。瓦の色を見ては赤色か黒色か数えて遊んでいた。

そういえば田植えをして1カ月半くらいが経っていたのだろう、田園は美しい新緑に満ちていた。ずっとずっと都会で暮らしていると、こういった姿を新鮮だとか美しいなと思う。

 

目的のバスの停留所は思った以上に何もなくて驚いた。道の駅以外何もないのだ。

本当に、ここは観光に来る場所ではなく、中長距離トラック運転手さんの休憩所やそういった目的の場所なのだろう。

ほたるの里までは私の遅い足で20分弱だった。

ついたころにはまだかなり明るかったので、唯一存在したミニストップで買ったおにぎりを頬張りながら三脚を組み立てたりしながら時間をつぶした。

19:00過ぎ、日が落ち始めたので蛍の住処へと移動した。

忘れられがちだが、蛍も虫なので虫よけの類を一切身に着けることが出来ない。何て無防備なんだと思いつつ、やはり寄ってくる蚊を手でぶんぶんと払う。

しかし10分ほど経つともう蚊にたかられることも慣れてしまって避けることも面倒になったので自然に任せることにした。ハットに長袖ブルゾン、デニム、靴下、スニーカーと言う完全防備の私だが首元がノーマークだったので次々とやられる。だからみんなタオル持ってきてるんだ。次は持って来よう。

 

蛍の名所として有名な某所だが、千葉県の田舎まで一人で来るバイタリティー溢れる人間は少ないらしく、周りが話しながら待っているのを「話し相手がいないなぁ」と思いながら一人ぽつんと過ごしていた。

一眼はミラーレスとそうじゃない方(何て呼ぶのが正しいのかよく分からない)を持っているが、今日はちゃんとそうじゃない方を持ってきた。三脚もある、準備はすべて整っているのにこの満たされない感じは何なんだろう。

 

19時半、「あ、光った」と女性の声でそっと顔を上げると、目の前の木の先端が黄色く光っていた。待ちに待った蛍だった。

無我夢中でシャッターを切る。当たり前の話だが、久しぶりにカメラを触った私に上手く蛍が撮れるわけはなかった。

ひとしきりシャッターを切ったあと気がついたときにはあたり一面にふわふわと黄色い光が漂っていた。明かりもない真っ暗な空間に浮く光、次第に自分の足元が浮く奇妙な感覚に襲われる。

当たり前のことだがそれらはイルミネーションでも、光でも、夏の風物詩でもなく、紛れもなく命が漂う姿だった。今この瞬間を彩る生命。

圧巻だった、私はきっと今日この光景を見るために遥々バスに乗ってきたのだろう。たった一人、何時間もバスに乗って。

とびっきり綺麗なものをみた瞬間、嫌なことや記憶が蓋をされると感じる。たとえ一時的なものであったとしても、私はこの瞬間の幸福感や感動で全ての記憶に蓋をする。それが私の自分なりの自分への愛情表現だ。

 

20時すぎ、余韻に浸ることもなく私は荷物をまとめて蛍の里を去った。泊まる場所もなく、終バスを逃してどうにかなるような場所ではなかったからだ。

後ろ髪を引かれる思いで振り返ると、変わらぬ姿でふわふわと黄色い光が漂っていた。

 

無事に乗り込んだバスの車窓は暗くてほとんど何も見えなかった。遠巻きにぼんやりと移り変わる風景をぼんやり眺めながら来年も来れたらいいななんてことを考える。

体が重い、きっと今日はたくさん歩いたからだ。心地よい倦怠感の中で膝に抱えたカメラを抱きしめる。今日の一瞬を、私は忘れたくない。多分忘れない。

 

千葉駅、23時すぎ、静かな高揚感。きっとこれは永遠。