綿矢りさのインストールを読んだあの日、わたしは中学三年生だった。
夏休み。長いけれどいつの間にか終わってしまう人生の空白を、なにをするわけでもなく、ただのんびりと、寝たり起きたりを繰り返していた。
8月も下旬、読書感想文と言う夏休みの代名詞ともいえる課題を置きっぱなしにしていた。
当時、活字など無縁だったわたしは、渋々家の裏の坂道のてっぺんにある本屋さんにまで本を買いに行ったのだった。
T書店は近頃にしては珍しいくらい文庫本を揃えている書店であった。
夏休みに読む1冊という活字離れを危惧した出版社たちによるキャンペーンは当時から行われていて、夏休みのためのオススメ書籍なんかが綺麗な表紙をこちらに向けていた。
でも、私はどれにも興味がなかった。早く買ってしまおう。家に帰ってしまおう。
数年前に最年少にて芥川賞ダブル受賞をした綿矢りさと、金原ひとみの作品はまだまだ本棚の目立つところに置かれていた。
メドゥーサみたいな女の人が、青い学生服の女の子のが、私達は選ばれたんだとその本棚で1番主張が激しくて。
それを素直に手に取るのは、なんだか安易だと思ったので、傍らの綿矢りさのインストールを手にしてレジへと向かったのだった。
引きこもりの女の子が、出会い系サイトでサクラをする話だった。それも、頭のいい小学生の男の子と。
読み終わって初めて抱いた感想は青春であった。
わたしは、この眩いばかりの青春を過ごしたことがあっただろうか。いや、無かろう。創作の中であったとしても、私が今まで見たどんなドラマや漫画より屈折していて、荒々しい青春。憧れるには容易かった。
14歳の私はそれから幾度となく読書感想文を書き、成人をし、大人になった。
もちろん、出会い系のサクラに没頭する青春を送るわけでもなく、普通のOLになった。
今思えば、インストールは、わたしの人格形成を変えた一因だったのかと思う。あの夏の日、坂道を登ってたどり着いた本屋で手に取ったのが舟を編むだったとしたら。
わたしは今頃どこで何をしているのだろう。