マテリアル

私と本とその他色々

器ってね、主に器量の善し悪しを言うと思うんですけどね、 

わたし生きる力の器もあるんじゃないかって思うんですよ。生きる力がそこに注ぎ込まれるの。

溢れ出てダバダバしてる人もいれば、ちんまりと収まってるけどたしかに入ってる人いるよね。

わたしはそれのバランスをとるのが苦手でね。

楽しいー!!って思うとダバダバ注ぎ込みすぎちゃって溢れ出して大洪水で周りに迷惑をかけるでしょう。

普段はほぼカラみたいなもんなんだけどね。

もう8年くらい前になるのかと思うと恐ろしいんですが、生きる力が枯渇して、飯を食べないでいようと思ったことがあったんですね。野菜ジュースだけ飲むの。  

不思議なことに三日目に空腹とかいうことが消えるんですね。

そこからは体も軽いし、生きる活力あるし、頭も冴えてるし、もしかして生きるために食べるなんてただの架設にすぎなかったんじゃないかなぁとか思い始めたんてますよ。

17日め野菜ジュースを飲んだら気持ち悪くて吐き出して。慌ててポカリスエット飲んだら鼻から出てきて。

元気なのにおかしいぞと思って病院に行ったら普通にひどい胃炎で、更には腎臓が自ら分解して栄養与えたんだって。

「よく生きてましたね」と医者に言われて、私のやってることはいけなかったんだと身をもって知る。そういう日もあるよね

 

もともといきるちからは強くないからら強くなりたいなぁ

すきなもの、きらいなもの

息を吸うことも吐くことも面倒だなぁと思う日はありませんか、わたしはあります。

目に入るものに全て否定的になる日はありませんか、わたしはあります。

そういうのって五月病と言うのかもしれないけれど、結構頻繁にそんな日があるから困っちゃったりする。

 

生きることにとことん向いてない性格?いや、人間に向いてないなぁと思う。

22歳までは自分のことをペシミストと名乗っていた。22歳の時点で馬鹿らしくなってやめたけど、やっぱり根本は人が嫌いだと家の外に一歩踏み出すと毎日思う。

 

植物みたいな人になりたかったんだけど、なれなかったな。がんばってはみたんだけど、やっぱりわたしは人間なので、植物になる方法より、人間を行う方法を探した方がいいかな。

 

今日は慣れないお酒を飲んだから関節が痛いな。

明日はカメの水槽のお水を替えてあげよう

いちにち

昨日は朝起きて、少し違和感があったので、無造作に床に置いていた手鏡を取って、半分寝ぼけた顔で口を開けてみると、喉の奥が赤色になっていた。

ちいさいころから、わたしは体が強いほうではなかったので、細々とした季節の変わり目や、環境がかわるときに扁桃腺炎になるのだけど、

またやっちゃったなぁ、今日は飲み会でお肉を食べるのになぁと悲しい思いをしながら、髪の毛をまとめたり、服を着替えたりした。

 

西船橋駅は混雑をしていて、恐らくみんなディズニーランドに行く人たちなのだろうけど、

まいにちこの時間に舞浜を通ると、周りの人達にとっての非日常は日常になってしまって、わたしにとってディズニーランドは普通の場所になってしまった。

ウキウキと、わたしみたいな人で溢れるユニークな電車の中で揺れたり、揺られたりして、舞浜につくと、わたしみたな人だけが電車の中で現実に引き戻されるのです。

会社に行くとパソコンの後ろにあるボタンに手を伸ばします。マックはデザインを追求した結果、本体の後ろに電源ボタンがあるのです。

近頃のデザインの傾向は、生活感のあるものは見せたくなくなるみたい。トイレの案内看板が小さいって、日比谷ミッドタウンにも苦情があったもんね。

生活に役立つはずのデザインが、生活を不便にしているのかぁ。個人的には、私はかっこいいよりも、前にボタンがあると楽なのになと思いながら仕事を始めます。

 

そんなわたしのいちにちです

眠る記憶

この間は目黒川に花見に行った。

確か3度目なのだけど、何回見ても綺麗だなぁと思えるのは、1年という丁度いいスパンと、あつい、さむいを繰り返したからこそだと思う。

毎日そこにある木の緑色を、わたしは美しいとは滅多に思わないので、不思議だね。

 

わたしの中で長らくつっかえていたものがあって、でもそれはどうこうなるものでもなくて、考えるだけ無駄だけどやっぱり苦しいと思ったことがあって。

一言一言言葉を選びながら、いままでみたいに誤解されないように頑張って伝えようと思ったら、言うまでもなく周りは気にかけていたことに気づいて、凄く凄く安心をしたのだけど。

なんだろう、わたしが思うよりわたしのことは人の方がよく知っているのかもしれないと思って、それはとてもありがたいなぁと思った。

皇居の周りに桜が咲いていて、通りを抜けた正面には国会議事堂があって、建物の茶色とピンクと緑がビュンビュン通り過ぎていったけど、きれいだったなぁ。

世の中は春なんだねぇ。

 

なにもしないをする

わたし、小さい頃から何もしないということができない人間だったので、常にいそいそと動いていたり、何か考えてたりしたんだけど、

それが普通の人間だったので、ある日までは毎日いそいそと生きていて、ある日突然しんどくなった日があって。

何かすることを辞めようと思っても、何もしないということが分からなくて困った。

 

そのある日から22歳くらいまで「なにもしない」をするということが分からないまま、桜が散ったり雪が降ったりしながら、わたしは大人になってしまったのだけど、この数年で少しずつなにもしないをするということが出来るようになってきた。

 

しかしここ最近、悪い癖でまたいそいそと動いていたせいか、昨日の朝に「わー!!こりゃだめだー!!」と思ったので、目覚まし時計を止めて、今日はなにかすることをやめようと思った。

目が疲れていたので、とりあえず何かを見ることをやめようと思って目をつぶったら、次に目を開けたら夕方でびっくりした。

 

もぞもぞと布団から這い出て、とりあえず何か食べようと思って、母から貰ったうどんを茹でて食べたら美味しかった。

 

ごはん食べたあと、なんだか親の声が聞きたくなって電話をかけて、ありふれた話をしたあと、またコトリと寝たようで。

今朝はすごくすごく体が元気だったので何もしないは大事だなぁと思った。

 

金曜日にマッサージに行ったのだけど、中国の方にマッサージして貰って。

途中でハーフアップにしていた髪の毛を急に解かれて、髪の毛ぐいんぐいんと引っ張られてびっくりしていたら、終わったあとちゃんと結んでくれたみたいで。

あとで起き上がってみたら頭の上でお団子に結ばれていて、髪型変わっちゃったけどなんか楽しいなと思って「結んでくれたのね、ありがとう」って言ったら、笑ってくれたのでよかった。

なんか言葉では説明出来ないけれど、嬉しいね。なんか可笑しいね。

 

春雨

春ってどうもお天気も気温も安定しないので気分がどんよりするね。

今日はとても寒くて背中にカイロを貼ったのだけど、もう暖かくなるだろうと思って棚にしまっていたカイロを引っ張り出すのも朝の短い時間には惜しくって不機嫌に拍車がかかったな。

でも、こうやって電車の中で壁に背中をぴったりくっつけると暖かくてうれしいな。

この広い電車の中で、わたしだけが暖かいんだもんな。ふふふ、たのしいね。

 

小さい頃、英会話教室にジム先生って外国人の先生が月に一度来てくれて、

はじめてジム先生を見た時、目が青いことにびっくりしてこれでもかと言うくらい泣いちゃって。

そのときのことは今でも覚えているのだけれど、自分と違うとか、見たことがないことにびっくりして怖い思いをして。

ジム先生は困っただろうなぁ。自分は違うと子供の本能に認識されてしまったこと、ちょっと寂しく思ったりしなかったかなぁ

 

今何してるんだろうなぁ。もう50歳超えてるだろうなぁ。

いくら懐かしんでも、わたしは25歳だね。

パセリ

今日仕事で絵を書いてたら、書いたものを好きな色に変えれることに気がついちゃって。

うはは、楽しいな。って思ってた。こんな色のスニーカー履かないよね~わははって感じ。絵の中だと、有り得ないが実在しないんだもんなぁ。いいなぁ。

 

疲れてくると定期的に会いたくなる人がいて、会っても大して甘えたりもしないんだけどただただ癒されるなーって言って帰っていく。最近また会いたいなーと思うから疲れてるのかもしれないな。

私の話を決して否定しないで綺麗にして返してくれるから浄水器みたいだね。

 

癒しといえば、近所のパン屋さんが無くなって、またパン屋さんになったのだけど、前のパン屋さんで売っていたお気に入りのクランベリーとヨーグルトのくるみパンは無くなっちゃってて。

コーヒーもらって、バルコニーで食べるのが好きだったんだけど、かなしいな。

あれは本当に好きだっから作りたいなぁ。

代休が溜まってきてるし、暖かくなってきたからパンも自然発酵するし、このお仕事終わったらまったり再現でも頑張ってみようかな。